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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 韓のくに紀行~春 Ⅰ


成田から


この春は成田から韓国の大邱(テグ)へ行くことにしました。韓国第3の都市で観光地もあるのに、私は行ったことがなくて。

タイトルは司馬遼太郎の「韓(から)のくに紀行」にあやかって・・・そのまんま使わせていただきました!(一応間違い防止のため「春」とか付けたりして←間違わないってw)

成田から大邱行きの便に乗って空港に着くと、何やら物々しい雰囲気。大邱空港は元々軍用で、今も空軍が駐屯しているのだとか。だから空港内の撮影も不可。

そんな所もあるのだなと、いきなり「知らない世界」の洗礼を受けた感じです。今回はこの大邱に一人で4泊する予定ですが、どうなるんだろう~(^▽^;)アハハ



大邱市内へ


空港から大邱市内へはバスで。リムジンバスも市内バスもあるようでしたが、ちょっと海外からの旅行客を想定してない印象を受けます。今のところオールハングルですし。

宿に荷物を置いて、早速街歩きに。これは東学の教祖 崔済愚(チェ・ジェウ)の殉道碑と書かれています。政府によって捕らえられ、1864年大邱で処刑されたようです。知りませんでした。

この頃は興宣大院君の時代で、キリスト教徒(カトリック)もたくさん殺されています。1866年、フランス人神父9名とカトリック信者約8千人が処刑された丙寅(ピョンイン)教難(迫害)がよく知られていますけど、キリスト教に対抗して起こされた新興宗教の東学も迫害されていたなんて。物事を多方面から見る必要があることを教えられた気がします。



薬令市韓医薬博物館


大邱は韓国三大薬令市場の一つ。薬令(ヤンニョン)市場は、350年の歴史がある韓方薬(日本でいう漢方薬)の町で、道沿いに韓方薬材卸売店がずらりと並んでいます。

歩いていても薬湯の匂いがすごいですね。包まれちゃって自分もその匂いに染まる感じ。案内図をによると、350もの韓方関連店が軒を連ねているのだとか。

日本だとどこに相当するんだろう?・・・そういう町無いかもしれないですね。

こちらは韓方薬の博物館。入っていく人もいるけど、私は前を通過するだけにしました。時間があったらいいけど、もっと行きたい所があるので。



韓方薬をマスコット化

一帯が韓方薬店

旧大邱第一教会


さて、薬令市場の通り沿いに建つのが旧大邱第一教会。私が来たかった所です。大邱に初めて出来た教会で、創立は1893年。

今は信徒たちは新しく建てた教会堂で礼拝を守っていて、こちらは歴史的建造物として残されています。

今は中に入れないようですが、外から見上げるだけでも過ぎた年月を感じられます。

道をはさんだ向かいには旧キョナムYMCA会館が。あとでもう少し詳しく書きますが、旧大邱第一教会も旧キョナムYMCA会館も3.1独立運動の舞台となった場所です。大邱には3.1独立運動のときの史跡がいくつもあり、今回是非それらをしっかり回ってみようと考えています。自然とそれがキリスト教関係地をめぐることとなるんですけどね。

3.1独立運動は、日本からの独立を目指して市民が立ち上がったもの。それからちょうど100年目となるこの年にここに来ているのだから、できる限り学び、感じ、考えてみたいと思っています。



解説板

旧大邱第一教会

旧キョナムYMCA会館

旧キョナムYMCA会館

カトリック教会とプロテスタント教会


細い路地を進んでいくと、カトリックの桂山聖堂の裏に出ました。

建物の横手に回ると、新しい大邱第一教会の姿が。

カトリック・プロテスタント両方の尖塔が一度に見られる景色ってなかなか無くないですか?たぶん日本には無いでしょう。なんか贅沢な感じがする☆(浅い感想ですみません^^;)



桂山聖堂


カトリック桂山聖堂の正面には、立派な松の木と磔刑像。

ここに松というのが東洋の発想ですね。建物は西洋建築だけど、欧米には絶対にないであろう取り合わせ。

中にはお祈りに来ている人がたくさんいました。内部は撮影不可なので写真はありませんが、ステンドグラスが美しかったです。

先ほど旧大邱第一教会のところで、大邱で一番古い教会だと言いましたが、建物として古いのはこちらの方です。旧大邱第一教会は一度建て替えられているので。こちらの建物が建てられたのは1902年。なんとステンドグラスなどの資材は、大邱で宣教していたフランス人のロバート神父がフランスから持ち込んだものだそう@@

そ、それはすごい。。古さと、建材をフランスからというのと、どちらをどう驚くべきか迷うけど、とりあえずすごい。日本で宣教を繰り広げていたパリ外国宣教会(MEP)の人たちが、同じ頃韓国でも頑張っていたんですね。日本に来た宣教師たちと同志で、きっと知り合いだったんだろうと思うと感慨深いです。



桂山聖堂

旧司祭館

解説板

磔刑のイエス像

続いて大邱第一教会へ


続いて大邱第一教会へ。広い道を渡った小山の上に見えますが、向かって右下の麓にも教会施設があるようです。

100周年記念館と書かれていますね。大邱第一教会の創立が1893年だから、それから100年となる前世紀末に建てられたんでしょうか。

それにしてもキリスト教勢力強いですね。韓国全体がそうだと言えるのかもしれませんが、大邱は特に。私調べですけど (^^ゞ



今の大邱第一教会

100周年記念館

90階段


原罪の大邱第一教会に登っていく、こちらが「90階段」。90段あるから「90階段」なんですが、別名は「3.1運動路」。

ソウルから始まった3.1独立運動が全国に飛び火して、大邱では独立運動に参加する市民や学生たちが西門市場に向かってこの階段を降りていったのだとか。

一つの象徴的な場所として、ここは是非訪れてみたかった所です。階段の両脇には、韓国の太極旗と当時の写真パネルが。

読むと・・・、うん、まぁ、こうなることは予想できたことですね。日本からの独立を果たそうと市民が立ち上がったのですから。無言になります。。

ただ思っていたよりも客観的に書いていますね、「日本憎し」「こんなにひどいことされた!」みたいに日本をこき下ろすのではなくて、市民がこんなに勇敢に意思表示して戦った、示威(デモ)行動を行ったという論調です。とりわけ若い人たちにスポットが当てられているようです。大邱だけでなく、各地でそうだったのでしょう。



3.1運動路

3.1運動路

安重根が講演した場所

教師と生徒が参加し、主要な者は懲役刑に

積極的に参加した信明女学校生

2003年にも運動を広げた

3.1独立運動のときの写真

1908年に建立された大邱第一教会

大邱第一教会


こちらが最初に訪れた旧大邱第一教会の、現在使われている教会堂。

1994年に建てられたものだそうですが、いつか歴史的建造物になりそうな威風堂々とした佇まい。

近くからでは到底カメラに収まりきらない大規模建築です。中はそこまで威圧感ないですけどね。韓国の教会堂(聖堂も含めて)は、上へ上へという指向性が強い気がします。

日本だと、こういうのが好きな人もいれば、あまり好まない人もいそう。洋風だとしても、どこか周囲に馴染む自然さがあることが求められると思います。街中に急に大きな西洋風の教会堂があると、ちょっと結婚式場っぽくなってしまいますからね。

逆に韓国は、教会っぽい結婚式場とかそういうのが無い(あるいは少ない?)から、その辺を気にしなくていいのかも。お国柄と言おうか、宗教事情と言おうかが現れています。



正面

解説板

内部

絵画

宣教師チャムニスの住宅


大邱第一教会のある小山は東山洞という地名で、教会とキリスト教主義校(啓明大学校)の敷地となっているようです。

1900年代初頭にアメリカ人宣教師が建てた住宅がいくつかあり、そのうちの3つが資料館になっています。

こちらは元・宣教師チャムニスの住宅で、中は医療博物館。チャムニスさんは医療宣教したんでしょうね。当時の器具(痛そうなやつも...)が展示されています。



案内矢印

宣教師チャムニス住宅

解説板

内部の展示

医療器具

医療器具

医療器具

オルガン

医療器具

医学書

展示

当時の写真

小庭


どうやら啓明大学校という学校は、医療で有名なようですね。

啓明大学校の東山(つまりここ)医療院が西洋医術の始まりだったと書かれています。

それを顕彰するのがこの小庭で、解説板や石碑が建てられています。もちろん先にソウルで医療宣教が始まっていたでしょうから、「大邱で」だと思われますが。



解説板

解説板

小庭

宣教師ブレアの家


宣教師ブレアの住宅は教育歴史博物館となっています。

昔の小学校の教科書が並んでいるのですが、途中で日本語になり、再びハングル表記になるのが見て取れます。

「日本化」は言葉だけに留まらず、服装や文化にまで及んでいたことがうかがえて、日本人としては胸が痛むところも。



解説板

宣教師ブレアの家

展示

遊び道具

当時の教育

教科書

日帝時代の教科書

再びハングルに

クンデ・コルモク


3つの資料館のうち、一番見るべきであろう宣教資料館だけどこにあるか分からず下山してしまいました(涙)。

やっぱり一回で全部心置きなく回るというのは難しいですね。90階段の反対側に下りたこちらはクンデ・コルモクという所。

「コルモク」は、辞書だと「小道」「路地」の意味だと出てきます。○○コルモクというのが大邱にはたくさんあって、観光的なウリになっているようです。この辺りは全然「小道」って感じじゃないですけどね。「通り」と訳す方が適当なのかな。




街の地図

周辺マップ

クンデ・コルモク

大雄殿


地下鉄駅へ歩いていると「大雄殿」と書かれた立派な建物が。コンクリート造のビルに中国風のお寺が乗っているような。

よく見たら、幼稚園を併設した仏教寺院でした。韓国のお寺ってこんな様式なんですね。うーん、日本でもコンクリート造のモダンな建物のお寺を見かけるけど、ちょっとテイストが違います。

やっぱり韓国は中国の影響を、昔から今に至るまで強く受けているんだなと。



仏教寺院

幼稚園

お昼はプルコギ


駅近で適当な食堂を見つけてイン。焼肉屋さんです。ランチメニューのプルコギ定食を頼みました。

小さなおかず(パンチャン)がいくつも付いてくるのがうれしいです。ご当地おかずを体験できて、栄養のバランス良くなっちゃうし。


観徳亭殉教紀念館


さてと、地下鉄で半月堂(パヌォルダン)駅に戻ってきて、ここからはカトリックの殉教地巡りへと参りましょう。

まず訪れたのは、観徳亭殉教紀念館。殉教地に建てられた記念館です。

しかし・・・本日休館!

4日間あるので、また日を改めて来ることとします。それにしても大きな建物。壁のレリーフもすごいです。屋上にはカッコいい韓屋まであって。日本でこんな大きな殉教資料館、全国探したって無いと思います。殉教者は日本の方が多いんですけどね。



解説板

解説碑

殉教者で聖人

殉教者

休館日など

向かいはプロテスタント教会


地下鉄で殉教地へ


慶尚監営公園


半月堂駅から一駅乗って、中央路駅へ。西に3分ほど歩くと慶尚監営(キョンサンカミョン)公園です。

案内板に日本語の説明文もあって親切。日帝時代に敷地が道路で削られたとか書かれていますけども (~_~;)

「監営」とは、朝鮮時代に地方行政を統括していた役所のこと。長である観察使が居住もしていたから、地方官庁と官舎が合体したような施設だったと言えます。

解説には書かれていないけれど、ここに罪人を入れる牢があり、取り調べをする尋問場もました。それも書こうよ!と思うんですけどね。



慶尚監営公園

公園内

マップ

解説板

日本語の説明文

公園内

下馬碑

宣化堂


大邱市内にあるクリスチャンの殉教地はざっと4ヶ所。多いか少ないかで言ったら多いですね。

大邱は昔から人口も多く、交通の要衝でもあったので、人々が新しい思想や宗教と接する機会が多く、殉教地の多い街となったのではないかと思われます。

こちらの宣化堂は、観察使が公務を執り行った所。建物は1730年に火災で焼失し、1807年に再建されたもので、大邱の有形文化財第一号に指定されています。



宣化堂

宣化堂

解説板

測雨台

鐘閣と池


きれいに整えられた池と植栽、池にかかるように建てられた鐘閣。夕涼みにもってこいのロケーションで、ベンチに座った人々がぼんやりと噴水を見つめています。のどかですね。

だけどこの隣の澄清閣前の広場が、殉教地です。拷問を伴う取り調べが行われ、骨が折れたり鞭打たれたりして、キリスト教徒が数人死亡しています。

「処刑場」とは言わないけれど、そういう所を「処所」と言ったようです。日本の御白州に近いでしょうか。権力者の前に引き出されて、罪を認めろと拷問を加えられる場所です。

尋問に耐えかねて一旦棄教した女性が、門から出て行こうとした時、ちょうど他の信徒が連行されて来て会うようになり、すれ違いざまに言われた一言で改心して、信仰を表明して戻り、怒った役人によって杖死させられたのがこの広場だったそうです。

澄清閣の方も大邱の有形文化財第二号に指定されています。そのような歴史があったことを今に伝えるよすがのようにも思えます。どうだろう?



鐘閣

鐘閣

澄清閣

澄清閣

解説板


大邱中部警察署


慶尚監営公園から出て、道をはさんだ所にあるのが大邱中部警察署。朝鮮時代は監営内だったかもしれないですね。昔の役所跡が今も警察署などになっているケースが多々あります。

昔の役所は、役所と言っても警察とか裁判所・拘置所みたいな役割も果たしていたから、その名残というか。

解説板の右側には、日本も関係する沿革が、左側には朝鮮戦争時に多くの犠牲を払って国を守ったことが写真とともに記載されています。

慶尚監営公園と警察署との間にある建物が、日帝時代の旧・朝鮮殖産銀行を改装した近代歴史館、警察署の向かい辺りにあるのが従軍慰安婦関連の展示をする「ヒウム」という資料館です。近代歴史館は休館で、「ヒウム」は見学に行く気がしませんでした。日本人がうかうか歩いていい場所ではないのかも。



警察署

解説板

「ヒウム」

近代歴史館

こちらが監獄跡


小道を曲がりながら進んだ先、こちらのコインランドリーの後ろにかけてが朝鮮時代の監獄跡で、やはり殉教地です。

後ろに高く塔が伸びていますが、プロテスタントの西門路教会ですね。カトリック教会も近くにありますが、 西門路教会の場所が監獄跡と言うのにふさわしいようです。

こちらでも酷い拷問で何人もの信徒が獄死しています。



西門路教会

西門路教会

西門路教会

教会敷地

大邱邑城


次なる殉教地を目指して歩いていると、「大邱邑城」と書かれた解説板を発見。ここが大邱の城跡のようです。残っているのは、車道の真ん中に置かれている城壁めいた石だけですね。これらも本物かどうか怪しい感じですけど。

でも城自体はこの辺りにあったようです。モノレールの向こうに達城公園があるので、そこを中心としてこの辺りまでが城域だったんでしょうかね。



城の城壁みたいな石

大邱邑城跡

城の城壁みたいな石

殉教地


大邱邑城から城外に出た、こちらのオートバイ・コルモクの端っこが4つ目の殉教推定地。大邱の刑場跡なんですが、クリスチャンも処刑されたのかわかっておらず、恐らく処刑されただろうという推定地です。

オートバイ・コルモクというけど、完全にモーテル街ですね。今回宿を探すとき、殉教地であろうこの周辺にしようかとも思ったのですが、治安悪そうだったのでやめました。

その選択、正解でしたね。昼間でも暗く澱んだ雰囲気。食堂などもなく、人影もほとんどありません。

ただ、この場所は大通りに面していて、1919年の3.1独立運動のとき、学生たちが集まった所だったようです。そこから先ほどの警察署前を通って達城郡庁(現・大邱百貨店)まで行進したというので、ちょうど私が通って来た道を彼ら、彼女たちも歩いたわけですね。



刑場跡

刑場跡

モノレール

薬令西門


人気(ひとけ)の少ない刑場跡まで行ってしまうと、元に戻ってくるまでが大変。交通の便が悪いどころか、「無い」ってこともしばしば。

大通りを通って行くバスは見かけたけれど、地名もわからないのに乗るのもなぁと、結局30分ほど歩いて薬令市場の西端まで戻ってきました。

ちょっとへたばってます。まぁこういう展開ある程度は覚悟してたんだけど (´;ω;`)



薬令西門

解説碑

薬令西門

薬令市場

薬令市場はやっぱり


薬令市場へ一歩踏み入れるとやっぱり韓方薬の匂いがすごくて、空気を吸いながら歩いているだけで健康になれそう。

何も知らずに見ると、材木屋さんにも見えなくないですけどね。様々な木が結わえられて籠に入れられているので。

体質に合う韓方薬の一つも求めたいところですが、とりあえず行くべき所を優先しましょうかね。



韓方薬店

店先

材木屋さん?

韓方薬店

旧大邱第一教会


さっきはじっくり見なかったので、旧大邱第一教会にもう一度来てみました。

晴れてきて写真もきれいに撮れました☆

相変わらず中には入れないようですが、いろんな碑が建てられていますね。遠くて読めないのが残念です。



旧大邱第一教会

旧大邱第一教会

3.1独立運動

記念碑

旧大邱第一教会

3.1独立運動

記念碑

旧キョナムYMCA会館


向かいの旧キョナムYMCA会館は入れるようなので、見学しましょう。中は3.1独立運動の資料館になっています。

特に詳しく説明されているのが、青年たちの活動について。一種の「革命」だと思っていたようですね。

「国を変える」「自分たちの手で独立を取り戻す」といった熱い息吹を感じます。

それをキリスト教精神で成そうとしていた点が、私には興味深く思えます。韓国では「革命」の先頭に青年や学生、キリスト教者たちが立っていったんですね。それが今の国のあり方につながっているなら、政治であれ社会であれ、韓国を理解する上でとても重要なファクターに違いありません。



燃えた太極旗

起きて光を放て

大韓独立宣言書

デモした場所

達城郡庁までデモ

聖書

2.8独立宣言書

キョナムYMCA

2階は礼拝堂のような


2階は礼拝堂のような集会室になっていました。照明が絞られていますが、寂しい感じではありません。

正面以外の壁には活動家たちのレリーフが。3.1独立運動というのは、言うまでもなく抗日運動なのだから、この人たちが拒否した「日本」を思うと、頭が重くなってきます。

40年にも及ぶ植民地支配について、日本としては「賠償もしたし、未来志向で」と言いたいところだけれど、それ以前に解けてないところが厳然としてあるのだなと感じます。

もちろん韓国政府によるプロバガンダがあるので、その部分を差し引いて考えなければならないし、歴史的事実と異なる点まで謝罪する必要はないと考えるわけですが。そこを正しい歴史認識に導くのが難しいんですよね。



壁一面に

キョナムYMCA創立者

キョナムYMCA初代会長で牧師

新聞記事など

集会室

人々のレリーフ

投獄された

抗日運動家

薬令門


再び薬令門へ。頭でっかちでゴージャスですね。韓国では、門の伝統的な様式がこうなのかな?

薬令市場は、韓方薬は売っているけれど、観光的な商売っ気はあまりないようですね。カフェとか観光客用の食堂とかが極めて少ないです。

他のコルモクに行けば、そのテーマに合わせた店が並んでいるんでしょうけど。



薬令市韓医薬博物館

韓方薬店マップ

時々あるよね、不老門

周辺マップ

精進料理の餃子


実は薬令市場には教会だけでなく、お寺もあって、僧侶の姿も見かけます。こちらのお店はそういったニーズに合わせたんだと思われるベジタリアン料理店。

日本でいう精進料理の店ですね。マンドゥ(餃子)の具がサツマイモ餡でびっくり。ビビン冷麵も肉っ気無しです。お茶も飲まないのか、出てきた飲料は野菜ストック。でもこれが美味しくて、体に染みました。

私の他のお客さんは女性の僧侶が二人で、めちゃくちゃよく喋って食べて陽気に帰って行きました。何だかこういうのも文化体験のようで面白いです。

本日からのお宿は、薬令門近くの新しいホステル。ホステルなんだけど個室もあるので、よく休めるよう個室を選びました。まだ一階は工事中で、ふつう全部完成してからオープンしないかな?と思う私は日本人(苦笑)。

来て知りましたが、隣は補身湯(ボーシンタン)という犬肉スープの店。うん、何だかいろいろとカオスだな。これはこれとして楽しむしか~♪



ベジタリアン料理店

メニュー

店内から

ホステルと隣の食堂


是々非々


最近ネトウヨさん(「さん」要らない?w)からよく絡まれます。「日本は世界中が尊敬する国で、何一つ悪いことをしてないのだ」と信じてる人たちで、特に韓国との歴史問題で顕著な反応を示します。

世間にはいろんな考え方の人がいると知ってはいたのですが、ネットだとそれがダイレクトに出るみたいで、韓国の歴史を学んでいるとか、韓国のこういう所がいいとか書くと、とりあえず攻撃してきます。ネトウヨさんは大抵嫌韓のようで。

驚いたのは、普段は温厚なカトリック信者で、私に「良かったら教会堂案内しますよ」なんて言ってた人が、「朝鮮なんてどこがいいんだか」「チョンと付き合うなんて信じられませんね」と書いてきたとき。そういう書き込みが続いたので、結局ブロックしました。

歴史修正主義者の人たちになると、「日本が朝鮮を支配しなければならなかった理由がわからないのですか?本当の歴史を知った方がいいです」とか、「植民地支配された人たちは喜んで感謝していたんですよ!あなたは韓国政府に騙されている」「日本語を強制しただなんて嘘だ」「日本のおかげで韓国は近代化できた。植民地支配の恩恵だ」など。

当初はこちらの考え方を理解してもらおうと返信したりしてたのですが、議論しても無駄だとわかり、今はスルー。


ただ私は、何でも韓国の言うことが正しいとか、土下座して韓国に謝罪すべきだと考えているわけではありません。是々非々です。間違っていたなら間違っていたと認め、正しかったら正しかったと認めるという、極めてシンプルな。別に韓国の肩ばかり持っているのではありません。

自分にとって有利か不利か、認めたいか認めたくないかに関わらず、客観的かつ公平に歴史を見て、公正に判断していくことが大切だと思っています。それ故に、ネトウヨさんに「サヨクだ!」「バカだ」と言われるなら、それも甘受すべきだろうと。ネトウヨに「自分と違う考え方だ」と言われているなら、それ、その通りですから。

今回も是々非々で、自分の心で旅したいと思います(╹◡╹)





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